Commentary

河野圭一展によせて

「生徒への手紙」 画家 菊畑茂久馬

かって美学校の私の教室の生徒だった河野圭一君と松本晶大君から、東京の同じ画廊で個展を連続して開くから、何か文章を書いてほしいと電話があり、追っかけて近作の絵の写真を同封した手紙が届いた。
美学校をやめて、もう十年近くになる。近頃は生徒たちと滅多に会う機会もなく、ひょっこりこんな知らせが舞い込むと、往時のことが思い出されて嬉しくなって、つい「書くよ」って返事をしてしまった。
来年展覧会を控えていて、本当は原稿どころじゃないんだ。でも実は猛暑の中この歳で足場を昇り降りして制作するより、原稿を書くほうがよっぽど楽しい。
お二人のことを書く前に、両君がどんなところにいたのか、美学校の私の教室のことに少し触れておきます。私は一九七〇年から二〇〇二年まで、三十五歳から六十七歳のじいさんになるまでの三十二年間、一日も休むことなく九州の福岡から通い続けた。云うまでもなく、この期間は私の後半生の作品のほとんどが制作され、発表された年月でもある。要するに美学校は、教師というよりも一人の絵描きの丸裸の姿を生徒の中に投げ込んで、その絵と生態を観察させるという仕掛けになっていたわけだ。
その上、私は美学校はおろか、人から絵を教わったことがまったく無い絵描きだから、やっていることは全て独学の我流。このような体で覚えた自己流の技と経験だけで書いてきた絵描きだから、どうしてもたたき上げの職人みたいな指導しか出来ない。こんな教室果たして生徒にとって幸運だったのか、一生の不作だったのか。両君はこういう教室で絵筆を握った。
本人たちから届いた年譜によれば、河野君は一九八六年、十七歳で私の教室に入ってきている。そんなに若かったとは知らなかった。二年在籍して、一年休み、再び一九七九年、二十歳から一九九五年二十六歳まで七年間通い続けている。合計すると九年間も私の教室にへばりついている。こんなに居たのかと驚いている。もっとも私の教室は十年生なんかざらで、私がやめなければどうなっていたか、考えると空恐ろしい気がする。さぞかし生徒の皆さん、毒も薬もたっぷり吞み込んだことだろう。
松本君は一九九九年二十一歳で大学を中退して入ってきている。以後私が教室を閉鎖する最後の年度まで四年間在籍している。お二人ともどこで私の教室のありかを嗅ぎつけたのか。河野君は十七歳で、松本君は大学を辞めてまで絵を描こうと私の教室の門と叩いている。何がしかの青春の蹉跌を踏みしめているのだろうか。いずれにしても通りいっぺんの絵の学校では収まりがつかなかったのだろう。その意味では、お二人とも根性は据わっている。
河野君は在籍中から活発に個展やグループ展で作品を発表していて、なかでも「ギャラリー21+葉」を中心に次々と十回近く発表した作品は、すでにかなりの評価を得ている。彼の「手」は、もともと天性のしなやかな、平面と馴染みやすい「手」をしている。近年二〇〇五年あたりからは、その「手」で画布をさわりまくって、描いたり消したりする道程で現れる図像を掴まえて定着する方法をとっている。
つまり「自動記述」の手法を意識的に採用して、定型的な造形フォルムの侵入を防ぎ、その暴れまくる手が作った痕跡を整え、彩色したりして、それがさも醒めた意思の結晶した図像と見せる方法である。どこで覚えたのか手練手管は周到。色彩もそれなりに美しい。このように河野君は「絵画」のカタチづくりに懸命になっている。自分の絵のカタチを獲得することは画家にとって大切なことです。カタチが出来れば魂は自ずと宿ってくる、とは技芸の奥義でしょう。でもこれは生まれてくるもので作るものではありません。握りしめておかねばならないことは、「何を表現するか」でしょう。君は天性のしなやかな「手」をもっているがゆえに「手」の災いも大きい。「名品」づくりの罠にかからぬようにくれぐれもご用心あれ。
(この原稿は、君の出品作を拝見しないまま、近年の作品について述べた。新作が私の批評を超える事を祈っています。)


評論家 画家 古谷利裕 ~偽日記より

ギャラリー21+葉の河野圭一の作品は、一見、装飾的なマニエリスムにも見える画像をもつ。しかし、それとキワキワのところで、そこから逃れる、絵画の生々しさを掴んでいる。それがとてもスリリングで、観ていてドキドキする。おそらく、装飾的なマニエリスムを逃れるための、制作の複雑な過程と、その過程の間じゅう張りつめている感覚があるからだと思われる。
2007年 3月


評論家 画家 今泉省彦

河野圭一が吾々の前に現れて4年たった。第1回の個展である。
菊畑茂久馬の指導下にいた。およそ無口な男で、何を考えているのか、さっぱり判らなかった。本人も判らなかったかも知れない。それが気がついてみれば、いつのまにか、脳の襞々のようなものを丹念に描き始めていた。黙っているということは何かに耐えているということでもあろう。脳の襞も細かく深く刻まれるのかも知れぬ。絵というものは正直なもので、本人の正体を正しく明らかに活写するのである。ここで注意しなければならないことは、手垢のついたテクニックに依存しないこと、そして同工異曲のパターンに墜ち込まない事であろう。しかしながらそのことは大変難しい。
難しい理由を説明するスペースがここにはないが、河野圭一はそのあたりで悪戦苦戦しているかに見える。ともかく第1回目の発表である。
是非見に来ていただきたく、そして意見・感想を本人に云っていただきたく思います。